占い師・真木あかりのブログ

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2021年12月29日、木星がうお座へ。2022年前半に続く「癒しと共感」の時期が始まる。

 

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2021年12月29日、13時過ぎに木星うお座へ移動します。木星というのは「幸運と拡大の星」と呼ばれ、ひとつの星座に約1年間滞在して、私たちに今、発展させていくべきテーマや今、追い求めると自分のためになる幸福について指し示してくれます。「拡大」というだけあって、関連したテーマは「メッッッッッッッッチャやることが増える」ということになりやすいのですが、そのときどきの自分なりに前向きに受け止めて食らいついていくと、1年経ったあたりで「あ、自分、成長したかも」と気付ける、というお話になります。約1年という大きな流れのお話なので、ピンポイントで見ると「こんなことが幸運であるわけない」なんて思う方も多い時期です。ただ、木星が過ぎ去ったあとに見ると「なるほど」と思えることがほとんどです。あそこで、あの出来事が起きてよかったのだと。あの出来事がなければ、きっと未来は違ったものになっていたと。──そして「すぐにジャッジする必要はなかったな」とわかる人もいるでしょう。こうした経験を毎年何らかのテーマで、私たちは繰り返して、少しずつ待つことの価値を覚えていくのかもしれません。

 

幼さは、若さは、すべて同じ弱点を持っている。待てないという弱点を。事を起こせば、すぐに結果を見たがる。人生とは要するに待つことの連続なのだという教訓は、平均寿命の半分以上を活きてみなければ体感できないものなのだ。そしてうんざりすることではあるけれど、その教訓は真実なのだと悟るには、たぶん、残りの人生すべてを費やすまでかかるのだ。

『ソロモンの偽証(一)』宮部みゆき新潮文庫

 

さて、この木星が29日、うお座に移るというお話でした。ここから2022年5月11日まで、木星うお座に滞在して、うお座が意味する「癒しと共感」という意味にスポットライトを当てていきます。木星は古典的にうお座の支配星であり、すでに滞在している海王星は現代の支配星です。つまりダブルの意味で「護られている」時期であり、「癒しと共感」という意味合いが深く、深く掘り下げられていくことになるでしょう。

この2年あまり、人類は誰もが特殊な時間を経験しました。見えないものに怯え、人とのつながりが分断され、思想の違いをあからさまに目の当たりにして、精神的にも物理的にも「個」を──人によっては「孤」だったかもしれません──生きてきたように私には感じられます。そういった日々のあと、私たちは木星うお座に滞在する時期を迎え、お互いの「個」や「孤」をいたわり合うような出来事を、多く起こしていくのではないかと思います。響き合うように、呼び合うようにして起こる不思議な共感が、そこにはあるのでしょう。

共感というと「あなたの気持ち、わかるよ」という言葉に対する嫌悪感がほんのりと、心に浮かぶ人もいるのかもしれません。人間の気持ちなんてどんなに想像してもわかるものではないのに、簡単にわかるなんて言わないで欲しい。そう感じると同時に、自分の悲しみや痛みや憤りといったさまざまな感情を軽く扱われたような気持ちになるのかもしれません。おそらくは相手が、決して偽善や思い上がりといった気持ちではなく、心からの「私はあなたのことをわかりたいと思っているし、今、できる全部の力を使ってあなたを理解しているつもりだよ」という意味で言ってくれているのだとわかっていても。それでも、わかるよなんて簡単には言って欲しくないのです。

こうした厳格さは、この木星うお座に滞在する間、ふっと緩みます。わかろうとする気持ちは真剣なものだし、一部はきっとわかってくれているのだろう、そんなふうに思えるようになる人は多いでしょう。また「わかるよ」という言葉を発する方も、真剣なのだろうと思います。単なる懐柔や同情だけで、そうした言葉を発することはないでしょう。それが、土星という「試練と制限の星」をみずがめ座に残しつつうお座に向かう、木星の贈り物であるような気がします。

 

木星海王星が、同時にうお座に滞在する。このフォーメーションは、おそらく私たちが生きているなかでは、二度と起こりません。あと10年のうちに寿命が300歳とかになったら別ですが、冷静に考えるとちょっとまだそこまで人体が追いつかないんじゃないかと思うのですよね。こうした、世界的な疫病の流行もそうそう起こるものではありません。それを考えると、今こうしてふたつの星とひとつの星座が「癒しと共感」という意味をクローズアップしていく意味が、たしかにあるのだろうと私には思えるのです。世界中を襲った大混乱により、まだ痛みのなかにある方もたくさんおられます。最前線で戦っておられる方も、リスクある中ベストを尽くさなければいけない方も。そして、普段の暮らしで社会を支えているたくさんの人々も、それぞれに「癒しと共感」を身近なところで実現し合っていく。そんな上半期になったらと思います。

 

うお座というのは12星座という1サイクルの、最後の星座にあたります。ひとつのサイクルを終え、またおひつじ座から始まる新しいサイクルに移行して、私たちは成長を促されることになります。それが5月11日。木星がおひつじ座に移行すると、世の中的に新たな挑戦をしたり現状を刷新していったりする動きが起こるでしょう。癒し、共感といった日々のなかで、私たちはそれぞれに傷を癒していくのかもしれません。ただ、「傷ついたままの自分」に価値を感じ続けていると、それも起こりにくくなるでしょう。「誰も共感してくれない」と思いすぎると、誰かの小さな共感にも気づきにくくなるかもしれません。できれば「癒されてもいい」「共感してもらえてもいい」なんて、思っておけると素敵です。

 

ちょっと横道にそれて個人的な経験をお話すると、私はかつて深く傷ついていたとき、「治るわけがない」と思ったことがあります。今だから冷静に考えられますけれども、当時はもうだめでした。深く傷ついて、いなくなりたいとまで思ったその経験が、簡単に治っていいわけがないと思ったのです。そんなに浅い経験じゃなかった。人生をひっくり返すような、自分を全否定するような出来事だった。それなのに、すぐに色あせたりするはずがない、忘れられるはずもない──そんなに浅い、愛じゃなかった。そうあるために、傷ついた思い出を心のなかで何度もリピートしては自分を傷つけ直していました。

その時間が無駄だったとは申しません。たぶんこのときの私はまだ幼くて、とことん自分を傷つけないうちは「もうこんな人生はいやだ」とまでは思えなかったでしょう。そして誰かに「『癒されてもいい』『共感してもらえてもいい』と思いましょう」とか言われても鼻くそをほじって聞き流していたと思います(セリフは「ケッ」)。いや鼻くそのくだりは忘れていただきたいのですが、あの頃の自分を思い出すと、決して簡単に「傷は癒えます」だなんて言う気がしないのですよね。ただ、どういう道をたどっても、必要なプロセスを踏んで治っていい。癒えていっていい。そうしたことが起こりやすい時期であろうと、私は思うのです。癒えながら次に進むことだってできます。私もまだ、その途中にあるように感じることがあります。傷はその人だけのもので、それぞれが、それぞれの事情を抱えながら、付き合っていくしかない部分もあります。癒えないからといって自分を責める必要はないです。誰かの共感をありがたく思えないことに、苦しまなくていいです。今はしんどいという人に、「癒し」「共感」という言葉を見ると「ほんとかよ」と思ってしまうほどくたびれ果てた人に、そのことだけはお伝えしておきたいなと思いました。

 

どなたも良い、うお座の時間を。

 

そんな木星が、星座ごとに及ぼすことについてはこちらで書きました。ぜひ、2022年上半期のお供にしていただけたらと思います。(すでにお手にとっていただいた皆様、ありがとうございます!)

 

SPURでも2022年の運勢を書かせていただきました!

 

おなじみマイカレンダーでは、四柱推命による仕事運を。向こう5年分の見通しをぜひ!

 

 

(近況)

おかげさまで翌年の占いをいろいろなところで書かせていただきまして、今年も見事に燃えカスのようになっております…(›´ω`‹ ) ありがたいことです。これもいつも、読んでくださるみなさまのおかげです。

しかしカスな私はもう面白いことのひとつも思い浮かばないので、最近一番笑ったものを貼ります。何度見てもゲラゲラ笑ってしまう……(今も貼りながら笑いましたw)