茨木のり子さんの「歳月」という詩が好きです。
静かに物事を透徹している視線も好きなのですが、最後の2行が、合理的にばかり生きられない人の真実を表しているように思うのですね。
私が、占いの鑑定結果をお伝えするときに「こうしなさい」と出来る限り言わないのは、この詩に出会ったことがきっかけです。未来は自分で選べるもの、だから不確定要素が強いということもあるのですが、その人にとって「幸福」がなんであるか、占い師が決めてはいけないと思うのです。だから、可能性をできるだけたくさん、お伝えしています。
合理的に考えればこれは正解、というのは、ある程度大人になればわかりますよね。でも、どんなに辛くても不合理でも、自分にとっての真実を抱きしめたいと思うのであれば、それが幸せであるのだろうと思います。だから私は、できればそうした「真実」を、出来る限り応援したいと思うのでした。綺麗事だと非難されることがあってもね。
歳月
真実を見きわめるのに
二十五年という歳月は短かったでしょうか
九十歳のあなたを想定してみる
八十歳のわたしを想定してみる
どちらかがぼけて
どちらかが疲れはて
あるいは二人ともそうなって
わけもわからずに憎みあっている姿が
ちらっとよぎる
あるいはまた
ふんわりとした翁と媼になって
もう行きましょう
と 互いに首を締めようとして
その力さえなく尻餅なんかついている姿
けれど 歳月だけではないでしょう
たった一日っきりの 稲妻のような真実を
抱きしめて生き抜いている人もいますもの