占い師・真木あかりのブログ

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「運命の人」考。ドラマティックではないかもしれないけれど。

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「運命の人とはいつ出会えますか?」

というご質問をいただくことが、よくあります。

私もずっとずっと昔のこと、占い師になる前は「運命の人がいつか現れる」と信じていました。実際、これまでした恋すべてにおいて、毎回毎回ご丁寧に「今度こそ運命の人だ!」と確信していましたからね。毎回ですよ。百発百中ですよ。3回めくらいで現実見ろよと我ながら思いますが、恋なんて落ちるもんなんだからしょうがないだろ(誰に対する八つ当たりなんだか)。たくさんの恋をして、楽しいことも悲しいことも山ほどありましたけれども、幸せというか脳天気な人生を送ってきたなと思います(笑)。

 

ただ、占い師となって運命そのものに深く関わって生きることになり、いつしか「運命の人」に対する考えも変わってきました。あくまで主観ですが、運命の人というのは「出会う」ものではなく「運命の人に“する”」「運命の人に“なる”」ものではないかな、と考えるようになったのが、今の私です。

そもそも、「運命の人」って、すごく漠然とした定義なんですよね。「ひと目で恋に落ちるほどタイプの人」「相思相愛でいられる人」「最終的に結婚に至る人」……人によってわりと定義はばらばらです。ただ、もし私の主観で総括して良いのであれば、私は「愛し愛され、人生をともにしていける人」というのが、多くの人の心のなかにある願いではないだろうかと思います。

 

出会った瞬間に惹かれる人というのは、確かにいます。相性の良し悪しだってあります。ただ先日、福田和也氏の『悪の恋愛術』という本(むっちゃ厳しい本でしたが、学びも多かったですw)を読んでハッとしたのですが、すごくすごく冷静で夢のない話をすると、一目惚れや片想いの段階ではまだ、外見が気に入ったとか、声がステキとか、話していておもしろいとか、その程度に過ぎないのですよね。雷に打たれたかのような衝撃を受け、恋に落ちた感覚があったとしても(私は毎回ありますよ!!・笑)、そこですでに「愛」が生まれているケースは、そう多くはないのではないでしょうか。

 

そう考えると、運命だと確信するのって、もっと後なんではないかと思えてきたのです。人はどんな未来も選べます。この人を愛し続けるのか。自分の幸せを貫くのか。選ぶ未来によって、運命は変わってきます。パラレルワールドは無限に存在します。だから簡単に、誰かを運命の人だなんて言ってはいけないなというのが、私のポリシーでもあります。もちろん、出会いそうな時期や出会いそうな人はわかりますよ、でもそこからどう育てていくかは、自分しだいなんですね。

 

恋をしてお付き合いをするに至ったあと、衝突も乗り越えて理解し合い、相手のために力を尽くしたいと思い、許したり許されたりという時間を経て、愛を育てていく。それはきっとドラマティックでも派手でもないけれど、そんなふうにして「ああ、この人が“運命の人”だったのだ」と、何気ない午後のひとときにふと思ったりする人こそが、「運命の人」なのではないだろうか。最近はそんなふうに思っています。

  

出会った頃の情熱も色あせて、連絡も素っ気なくなって。一部の情熱的なひとたちをのぞいて、恋はそんなふうに進展していくことがよくあります。でも、これも運命の人になっていく過程にすぎないのかしらとか思うとですね、人生はいくばくかしのぎやすく、希望が見えてくるように思うのでした。以上、私の夢のない「運命の人」考です。せっかくご縁があってつながった相手ですもの。運命といえばみんな運命ではあると思うんですよね。運命の人にしていこうじゃありませんか。

 

ちなみに福田和也氏の『悪の恋愛術』、例のクールすぎる彼に薦められたのですが、読んだ後ショックすぎて3日ほど寝込みました(∪ ´ω` ) キツい話もありましたけれども、まあ良い読書体験でした。なんだかこう、今までうまくいかなかった理由がわかった気がします。

悪の恋愛術 (講談社現代新書)

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